ドラマ【神の子はつぶやく】を観て

※完全なネタバレです。ご注意ください。
※なお、私が関わらせていただいたのはSMバーでのシーンのみであり、他の部分は台本すら見ていません。つまり、完全に一視聴者としての考察(回答ではなくあくまで考察)であることをご理解ください。
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 観終わった感想の第一としては「誰も悪者を作らず、よくこのバランスで作りあげられたな」でした。

 ここから順を追ってお話していきますが、その前に。
 SNSを見ていて、特定の宗教だと決めつけている方々を見掛けますが、これはありません。
 宗教にそこまで詳しくない私から見ても、少なくとも2~3以上の団体を掛け合わせたものだと分かります。
 様々な方に取材をし、特定のどこにも当てはまらない(逆に言えば、どこにも当てはまる)、架空の宗教を作ったということを、制作側からも聞いています。
 これは、このドラマが、特定の宗教を弾圧するために作成されたものではなく(これは、冒頭にある“誰も悪者を作らない”にも共通しています)、それらで苦しんでいる方々を理解して貰うために作られたドラマであるためです。

 これを、「ヌルい」と感じる方もいらっしゃるようですが、多くの2世(3世)及び元2世(3世)にとって、自分が所属している(していた)宗教というのは、“家族に近いものである”ということを忘れてはいけません。
 もちろん、“家族に近い”だけではなく、自分の実際の家族がまだ所属しているのだということもそうです。

 そして、ご本人がどれだけ憎しみを込めて話していたとしても、それは自分の家族を非難しているに近い感覚なので、「自分が言う分には構わないが、他人には言われたくない」という感情が働く…
 つまりは、特定の悪者を作ることによって、却って被害者のトラウマを抉ってしまうリスクを避けたのだと推察しています。

 という前提があるものとして、以下の文章をお読みいただければ幸いです(前提長いよ(笑))。


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ーstoryー
 ドラマの展開を無視して、時系列順に進めていきます。
 まずは、1世にあたる女性が会社で何も上手くいかず途方にくれているところ、ふと立ち寄ったたこ焼き屋の主人と知り合い、何故かそのまま結婚してしまうーーというところから物語は始まります。

【考察】
 これを、簡単過ぎてリアリティーがないと仰る方がいましたが、その方は、社会や家庭に傷付き、家にも会社にも、どこにも自分の居場所がないと感じている人間がいかに弱いかをご理解なさっていないのかな。と感じました。
 たまたま立ち寄ったたこ焼き屋の主人に「ここに居れば?」と言われただけで救われた気になる。
 居場所を提供された気になる。
 多くの、居場所を見つけられない人たちを見てきた私には、逆にリアリティーを持って感じられました。


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ーstoryー
 主人は、徹底的に人は良いが、人が良すぎて1000万という、一般人にとっては莫大な借金を抱えていた。
 そこから二人で懸命にたこ焼き屋を頑張るものの、そんなものでは中々借金が減ることはない。
 また、子供も出来、食うや食わずの状態に陥るも、主人はとても良い人で真面目に頑張るから、文句も言えない。
 更には、その状態で二人目の子供を身籠ってしまい、いよいよ女性(ここからは母親と書きます)は切羽詰まってしまう。
 そんな折り、お腹を空かせた長女を連れて歩いていると、公園で何かの炊き出しが行われている場面に出くわす。

 これが、その後の運命を決めてしまう、ある(架空の)宗教団体が行っていた炊き出しであった。
 そしてその炊き出し(カレーライス)を配っていたのが、母親のかつての同級生であり、その同級生に誘われるまま、母親はその流れで入信してしまう。

【考察】
 この場面を「母親が働いていないのが悪い」「怪しい団体だと気付かないのはおかしい」と、仰る方々がいましたが、まず、ドラマの冒頭で、母親がまともに働けない人であることは明白に描かれていました。
 また、「生活保護」「自己破産」を言われていた方々も多く見受けられましたが、その制度を受けることが、手続き上どれだけ面倒なものか、どれだけ困難なものかを理解されてないのかな? と思うと同時に、私たちですら困難だと思えることを、普通に仕事をすることすら出来ない人に「困ってるんだったらやれ」と命じることの矛盾も理解して欲しいと感じます。

 次に、本当に追い詰められた人が、(溺れる人にとっての)水面に浮かぶ藁の一本一本を全てを疑って掛かれるのなら、世の中から詐欺など無くなっているだろうということも忘れてはいけません。
※宗教=詐欺という意味ではありません。
 それくらい困難であるという例として使用しただけです。

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ーstoryー
 時は過ぎ、長女は高校生、次女は中学生になっていた。
 長女は学校で、揶揄を込めて「おいのりさん」と呼ばれ、クラスに馴染めていない。
 それは、母親が近所で積極的に布教活動を行っているからであり(当然、クラスメイトの家にも訪問している)、また、長女自身も同級生に対し、「神様。彼らをお赦しください。彼らは自分たちが何をしているかを分かっていないのです」と、言われた方からすれば、完全に上から目線であるとしか捉えられないことを言ったりしていたことも原因の大きな一つであると考えられる。
 また、世俗の流行歌やドラマ、映画などは全てサタンに毒されたものであり、触れてはいけないとされていたことも、長女を学校内で孤立させていた要因の一つだと思われる。

【考察】
 これらの描写は決して大袈裟ではなく、往々にしてよくある情景だそうです。

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ーstoryー
 (少し飛ばして)そのような生活を送っていた長女は、修学旅行が日曜日のミサと重なるため欠席を余儀なくされ、そのことで、今まで(文字通り)触らぬ神に…状態だった担任の教師が母親の説得に向かうも自爆。
 結果は母親、教師、長女と、全員が傷付くという結果に。

 また、同級生であり、教団の説教師の息子である男子との淡い出来事なども重なり、長女は更に傷付き、不安定になっていく。

 さらに、このタイミングで今まで一人で家族を支えてきた非信者であるが理解者でもある父親が亡くなってしまう。
 そして、そのおり、家族で最後を看取ることをせず、教団に行って祈ろうとする母親と激しく衝突し、長女はついに家を出てしまう。

【考察】
 最後を看取ることよりも教会で祈ることを優先するというのは、割りとよくあることだそうで、彼らからすれば、「祈りなどどこでも唱えられる」などという正論は意味がありません。
 それが彼らにとっての常識であり、常識というのは、所属団体(国、地域、仕事、学校など)ごとに全く異なるというを忘れてはいけません。
 また、修学旅行云々に関して言えば、母親、教師の、どちらも善意から出た行動であることも忘れてはいけません。
 ただ、善意から出た行動が全て正しいとは限らないということも、世の中には満ち溢れているということです。


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ーstoryー
 家を出た長女は当然行く宛もなく、お金もないことから道端に踞って動けなくなっていた。
 そこで、明らかに怪しげな男性に声を掛けられるままついていき、そのまま身体を開かれ、その足で知り合いの飲み屋に紹介され、そこで働き始める。

【考察】
 これも、実は似たようなケースは全く珍しくありません。
 要は、幼い頃から大人に決められた通りに生きてきた結果、何も自分で決められない人間に育ってしまったという例です。

 “断れない”
 (宗教など関係なく)心当たりのある方は、是非お気を付けください。

 また、この時の描写は、SNS等で散見した「最初に母親が騙されたのが悪い」という意見に対する答えにもなっているんだと思います。
 追い詰められた母親は宗教に救いを求め、同じように追い詰められた長女は全く知らない男性についていくという行程を歩んでいます。

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ーstoryー
 その後長女は、自分が働いている店の客に連れて行かれたSMバーで緊縛ショーを観ることになり、自分でも何か理解出来ないまま、何故かこれに惹かれてしまう。
 そして、一度は帰ったものの、閉店後に一人で緊縛師に会いに戻る。

「何? 縛られたいの?」
「縛られた方が良いですか?」
「それは君が決めること。無理やりやるもんじゃないから」
「…………」
 立ち去ろうとする緊縛師に
「縛ってください!」
「私は赦されないことをしました」
「僕が赦してあげるから」

【考察】
 このシーンを、「急に緊縛など、シチュエーションに無理がある」と仰る方々がいましたが、実は私の(つまり同時に、取材された、ある2世の方の)実体験を元にしたシーンです(細かいシチュエーションは大きく違います。
 本当の実体験が聞きたい方は、直接聞きに来てください(笑))。

 このシーンのポイントは、長女が「縛られた方が良いですか?」と、他人に自分の行動の是非を委ねてしまうことと、縛られることで、赦しを得られたと感じてしまうことです。
 これは、一つは、長年培われた、大人の言うことを聞くことが正解であるとされてきた習慣からきた行動理念であり、もう一つは、行動や思考を制限される(縛られる)ことで安心を得ると共に、罰せられることで赦されたと感じたことであると思われます。 


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ーstoryー
 そこから長女はそのSMバーのショーモデルとして活躍していく。

【考察】
 このシーンを、苦悩から離れることが出来たのに、新たなる苦悩に絡め取られたと解釈してらっしゃる方が多数見受けられましたが、長女はSMによって、やっと自分の意思で居場所を確保出来た=救われたと感じていたのだということだけは、是非ともご理解いただきたい(笑)

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ーstoryー
 一方、父親亡き後、母親は次女に手伝って貰いながらたこ焼き屋を営んでいた。
 そこで、次女は教団仲間の男子から長女が撮された緊縛ショーのフライヤー(チラシ)を渡される。
 次女はそのフライヤーを母親に見せないように隠し、一人、姉に会いにいく。
 そこで、スポットライトに照らされたステージで雁字搦めに縛られている自分の姉の姿を見、一度はその場を飛び出したものの、決意して姉に直接会いにいく。

【考察】
 これは、一つ前の考察とは矛盾していますが、やはり一つのアンチテーゼであると考えます。


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ーstoryー
 妹に説得された長女は、紆余曲折の末に、漸く家に帰る決心をする。
 ところが、家に帰った長女に対し、母親は、教団から離れた者=サタンに取り込まれた者は(例え家族であっても)、赤の他人どころか敵である。という意味の言葉を吐き、長女に出て行くように宣言する。

 そこで初めて、今まで一切母親に逆らって来なかった次女が本音を話し出す。
「私だって神様がいるかどうかなんて分からない。けど、神様を信じなくちゃ、家族がバラバラになってしまうから信じていただけ。どうせバラバラになってしまうのなら、信じてたって意味がない!」

 ショックを受ける母親に長女は自分の言葉を告げる。
「神様を信じていても、信じていなくても、そんなことに関係なく愛して欲しかった」

 ここで漸く、母親は自分が犯してきた間違いに気付く。

【考察】
 長女の最後のセリフは宗教など関係なく、多くの人々に突き刺さるのではないでしょうか?

「勉強出来なくても愛して欲しかった」
「運動出来なくても愛して欲しかった」
「良い子でなくても愛して欲しかった」

 この家族が、これからどうなっていくのかは誰にも分からないし、ここからが本当の苦難の始まりなのかもしれない。

 という終わり方。

 そして長女の「これは私のお話。次はあなたのお話を聞かせて」というナレーションで締められていた通り、宗教一家と一口に言っても、一家族一家族、みんな違うんだということ。
 もちろん、宗教など関係なく、様々な理由で苦しんでいる家族もいるということ。
 ドラマよりも、もっと悲痛な家族もいるだろうし、幸せに暮らしている家族もいる。

 ドラマに話を戻すと、今社会で問題になっている半強制的な献金問題や強引な勧誘問題、厳し過ぎる体罰など、何故この物語で扱わなかったのかは冒頭で触れた通り。
 それよりも、往々にして「やめれば良いだけ」と言われてしまうことへの一つの答えを示すことで、世の不理解を少しでも無くしていくことと、ただ愛して欲しかったんだということを主題としているんだと感じました。

 蛇足になりますが、自分が悪いことをすればもちろんのこと、神様を信じられないというだけで、自分だけではなく、家族までもが地獄へ落ちてしまうと恐怖を植え付けられて育った方々の気持ちは、地獄という概念すら理解出来ない私たちには絶対に想像も出来ないんだということを知っておかなければいけないんだと思います。

 ですが、だからこそ、理解など出来ないからこそ、彼らの感覚を否定するのではなく、そのままの状態で受け入れてあげることこそが大切なんだと思います。

 これも前半部で触れたことですが、国や宗教、生まれた地域や年代が違っただけで、それぞれの常識というものは変わります。
 相手の持つ常識を否定するのではなく、こちらの常識を正当化するのではなく、お互いの常識を擦り合わせ、譲り合うことで、その人のそのままを受け入れてあげることが出来るのではないでしょうか?

 もちろん簡単ではありません。
 ですが、時間を掛けて、双方努力を惜しまなければ、きっと今よりはマシな未来が築けるのではないかと考えているのは、決して私だけではないと思っています。

 最後に、これだけ難しい問題を、基本的には誰も傷付けることなく描ききった番組制作の方々。
 その難しい感情を含めて、見事演じきった俳優陣には、とてつもない感動をいただきました。
 そして、思い出すだけで胸が苦しくなる想いを、今でも苦しんでいる多くの方々のためになるならと、血を吐くような思いでお話くださった沢山の元2世(3世)の方々には、大きな感謝と共に、一日でも早く本当に救われる日が来ることを願うばかりです。
 
 また、このような素晴らしい作品の末端に加えていただいたことは、私にとって一生の宝物です。
 本当にありがとうございました。

2023.11.8
堂山鉄心

【何故出来ないの?】~ “でも”“だって”からの脱却~

何故出来ないの?

その理由を探すのは実に簡単なこと。

日が悪かった。

体調が悪かった。

誰かが悪かった。

気圧が悪かった。

道具や環境が悪かった。

はたまた自分がポンコツなのが悪かった。。


もちろん、無駄に落ち込む必要もないので、その“出来ない”が貴方にとって許容できるものであるのならば、その思考法はあながち間違いとも言いきれません。

ですが、その“出来ない”が何とか克服したい内容であるのならば、“何故出来ない?”を“どうすれば出来る?”に変換する必要があります。


そもそも、何故、“何故出来ないの”という思考になってしまうのか? 

これは、私たちがそういう教育? を受けてきたからだと思っています。

何故出来ないの? 

こんな簡単なことを。

出来なかった理由を答えなさい。

もっと真剣に考えなさい。


散々言われてきましたよね?

そりゃ、そういう思考にもなるってもんです。

ですが、皆さんお分かりの通り、出来ない事情なんて星の数ほども浮かんできます。

また、少しキツい言い方をするならば、それは努力を放棄するための言い訳探しであるとも言えてしまいます。


繰り返しますが、その“出来ない”が、自分が許容できる“出来ない”であるならそれでも構わないんですが、本当に出来るようになりたい事柄であるのならば、やはり“どうすれば出来るようになるのか?”に変換しなければいけません。

…っと、ここまで読んで、一見、これはM(サブ)さんに対しての提案だと感じる方がいるかもしれません。

ですが、実はこれ、私はS(ドム)さんにこそ、知っていて欲しいのです。


何故出来ないの? 

ではなく

どうすれば出来るようになるかな? と。


考えさせるのでも良いでしょうし、共に考えるでも良いでしょう。


※もちろん、何故出来ないの?  が、プレイとして成立している方々においてはその限りではありませんが…。


とは言え、日常においては、M(サブ)さんに対して、そういう考え方の癖をつけてあげるのも、S(ドム)さんの大切なスキルの一つではないでしょうか?


“でも”“だって”を注意する前に。

どうすれば、それらを無くしていけるかを考えていきませんか? 

Twitterの質問箱を通じて学んだこと

質問箱を始めてみて、色んな方の疑問、想いなどに触れることが出来たり、中にはとても厳しいご意見などもいただけました。

もちろん、匿名であることから、ただの誹謗中傷などもあり、一回目にやっていた時は逃げたくないとのつまらない思いから全てにお答してきたのですが、大人な方々からのアドバイスもあり、そういった匿名の誹謗中傷は無視させて貰うようになったことで、却ってお悩みやご意見、ご要望などに真剣に向き合うことが出来るようになりました。

そして、このことがとても大きな収穫でした。
質問箱だと、自分との関係性が分からない相手に対して(つまり、俺とお前の関係だからこういう言い方で通じるよね?的な甘えを排除して)どういう言葉を使えば他人に理解して貰えるのか? 私の言いたいことが伝わるのか? ということを真剣に考える癖のようなものが付き、また、自分が普段会話をしている時、如何に反射的に何も考えずに答えていたのかに気付かせて貰いました。
それはやはり、普段の会話の中でも(多少)生かされ、言葉を発するまでに(今までより)少しは慎重に考えて話せるようになってきたと思います。

少しでも誰かのためになること。
見返りを期待して始めた訳ではないのですが、結果、一番得たものが大きかったのは自分自身であるという、嬉しいやら申し訳ないやら…。
(私は親切は人のためならず=いつか自分に返ってくるんだから人には親切にしなさい。的な考え方は好きではありません)

私はとても“隙の大きな人間”で、これからも何度も何度も同じような失敗を繰り返していくことだと思います。

そんな時、出来れば匿名などではなく、「お前あれは違うよ」と教えて貰えるような人で在りたいと願っています。
そしてそのためにも、人の意見にはちゃんと真剣に耳を傾けられる(何でも鵜呑みにするという意味ではなく)ようで在りたいと思います。

最後に、誰かに相談された時、自分の意見が中々理解されないとお悩みの方々に、質問箱を割と長く暫く続けてきた私から、偉そうに少しだけアドバイスをさせてください。

「誰かが悩んでいる時、その人のためを思っての言葉であるなら誤解されても構わない
これは誰もが陥りやすい、一番ダメなパターンであるということを知っていて欲しいと思います。

その人のことを本当に思っているのなら、その人が理解出来る(受け取れる)言葉を選ばなくてはならないということ。

「お前のためを思って言ってやってるのに何で分からないんだ? 分からず屋!」
「俺はあいつのために言ってやってるんだから理解されなくても構わない!」

これは、理解されなくても良いと感じている時点で、実はその人ためではなく、自分の欲求を満たしているに過ぎないんだということを知っていてください。

それは、(そういう時もあるでしょうが)必ずしもその人が欲しい言葉を選ぶという意味ではありません。
その人が欲しい意見と反対の意見を言わなくてはいけないこともあります。
ですが、そういう時こそ、言葉と言い回し、何なら表情や声のトーンまで考えて、相手が受け取れる言葉を、何度でも何度でもを慎重に選び続けなくてはいけないのです。
そこまでやってこそ、本当に「相手のことを思って」の言葉であると言えるのではないでしょうか?

そして、「そこまでやってやる義理はない」と思っている場合(相手的でも自分の都合的でも)であるなら、「相手のため」などという偽善を振りかざすのではなく、無難に相手の欲しい言葉だけを選んでおけば良いのです。

逆にそこまでしてない人が簡単に「あいつのことを思って」などという言葉を使ってはいけないと気付いたのです。

これらは、私が長年多くのM女さんたちと関わり、また、この質問箱というツールを通じて学んだ最大のことであると思っています。
多くのご質問、お悩み、ご意見などありがとうございました。


少しでも多くの、ご主人様と呼ばれている(またはこれから呼ばれたい)方々の参考にでもなれば幸いです。

2020.8.31

堂山鉄心

飲み屋の独り言

皆さんご存知の通り“夜の街”は今大変なことになっています。
歌舞伎町を歩いていても一般の方とすれ違うことはあまりないどころか、歌舞伎町名物とさえ言える、キャッチ、呼び込みの人すらまばらになってきているほどです(これは良いことかもしれませんが)。

私たちの現状を理解してくださる多くの方々は口を揃えて仰ってくださいます。
「夜の街で接する人数と通勤電車で接する密度、人数――。どちらが多いか? どちらが危険なのか誰でも分かる。君たちは酷い扱いを受けている」

そうなんです。
本当に国に対して言いたいことは山ほどあります。

ですが、彼らの言うことも分かるんです。
ご承知の通り、通勤電車を止めたりなんかしたら、その日のうちに日本経済は死にます。
国としてそれだけは出来ない。

とはいえ、国として、地方自治体として、長として、何もしないという訳にはいかない。
だけど、どうすれば良いのか分からないのは“あの人たち”も同じ。

そして、【何もしないということを国民が許すはずもなく、何か対策をしている体を見せていかなければならない】

ので…
”彼らが考える”生きるのに一番必要のないどこかにスケープゴートを求めなくてはならないんだろうと思っています。

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――22時閉店――。

これが何を意味しているのか分かりますか?
18時か19時に仕事が終わって、軽くメシでも食って19時か20時。
そこから移動して22時までの店に飲みに…
行きますか?

つまり…

政府は“夜の街”に“死ね”と言っているんです。

出来ることは少ないけど、僅かにでも助成金とか出してあげるから、“見事お国のために死んでくれ”と言っているんです。
まさに、2次大戦終盤。出撃を目前に迫られ宴を設けられた特攻隊のようではありませんか?

そして、この場合の“お国”とは、何のことですか?
誰のことですか?

とはいえ、今の政府を否定しても、批判しても仕方がなく、他の政党や、他の候補者が仮に同じ壇上に立っていたとしても、結果が大きく違っていたとは思えません。
それくらい、みんな分からないんです。
誰もどうしたら良いか分からず、これ以上の補助金、助成金など出せるはずもない(すでに出し過ぎなんでしょう)んです。

だったらスケープゴートなど作らず、何もしない政府を黙って見ていられますか?
恐らく、多くの方は「No!」を突き付けるでしょう。
声を大にして「何とかしろ!」と仰るでしょう。

ここでは、新型コロナウィルスの危険度に関して言及するつもりはありません。
誰だって、自分が誰かにうつしてしまう可能性、自分が所属する団体に迷惑を掛けてしまう危険性は避けたいでしょう。

では、黙って私たちはお国のために見事散れば良いのでしょうか?
それとも、スケープゴートになりたくないならば、さっさと“夜の街”など見限って、違う何かを始めれば良いのでしょうか?

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以前より何度も触れてきたのでご存知の方も多いかとは思いますが、私はその“夜の街(を含むSM)”に救われた人間です。
そして、一人でも多くの、昔の私のような迷える子羊の一助になりたいと思って始めた仕事です。

自分が食えないからと言って、簡単に手放してしまえるような、ただの経済活動とは違うんです。

とはいえ、現実問題最低限のお金は必要。

誰に文句を言うでもなく、大切な店を存続させるために、今出来ることを何とか模索していくしかないんだ。ということを強く思う日々です。

今は「店に来てください」も簡単に言える状況ではなくなりました。

私の活動理念。
「一人でも多くの性的マイノリティーの方々に、少しでも生きていきやすい環境を作るお手伝いをしたい」

何が出来るのかは分かりませんが、出来ることからコツコツと始めていきたいと思います。
もしもご賛同いただけるのであれば、これからの私の活動を少しでも応援していただければ幸いです。

2020年8月
堂山鉄心

東北

龍夫って人がいましてね。
https://twitter.com/kinbakutime

仙台の人なんですがアメリカ人で…
もちろん本名じゃないんでしょうが、そこは、まぁ…どうでも良い。

本人が龍夫だといえば龍夫。
それがこの世界。

で、その龍夫さんがね。
「仙台には何もないんだよ。鉄心さんSMバー作ってよ」って言うんですよ。
バカタレと。

無けりゃ自分で作れば良いじゃないか?
バーは無理でも縄会くらいならやる気があれば誰でも作れるぞ。と。

そんなん無理だよ。とか言うから、キミが本気でやりたいんだったら、一人で頑張ってイベントまで組んでごらん? 私も交通費くらいで行ってやるから。

なんて会話の中で実現しちゃいました東北ツアー(交通費以上にいただきました)

東北。
関西の人間からすれば、ある意味最も縁遠い地である。

それは、東日本の方なら中国地方を思い浮かべて貰えば想像がつくかもしれない。
島根や鳥取の位置が咄嗟に出てこない方も割と多いんじゃないでしょうか?

私は昔の仕事で沖縄以外は全県を通ったことがあるんだけど、仙台を目的地にしたのは初めてです。

杜の都。
笹かま。牛タン。ずんだ…
美味しいものなら数えきれないくらいにある。

「鉄心さん。さっきから看板が多いんですけど、萩の月って仙台が有名なんですか?」

ドライブ中のおちゃめな質問はさておき、もちろん、例の月の本家本元もここ仙台である。

仕事終わって寝ずに走ったおかげで、まぁ眠い。
取りあえずネカフェで仮眠を貪る。

夕方に起きて、会場へと向かう。

カッコいいバー



緊張の面持ちのももゆりさん

先に答えを書いておきます。

※今回、実は少し体調を崩していまして、残念ながら写真はこれだけです。
せっかくの仙台の名所も何も写せていません。
あしからず。

ショーは予定通り。

思った以上に沢山の方においでいただき、また過分な喝采もいただきました。

やはり、みんな欲しているんですよね。

そこから交流会の中で、私は緊縛体験ブースを担当させていただきました。

まぁ、皆さん並ぶ並ぶ。
これだけ喜んでくれたら縛り甲斐もあるってもんです。

2次会はとても美味しい韓国料理をいただきました。

もう少し体調が万全なら、もっと沢山楽しめたのに。
少し悔しい想いも残しながら帰路に着きます。

||:体調は思いっきり悪いんですが、せっかく東北まで来たら釣りをしないで帰るわけにはいきません。
ロキで熱を下げながら頑張って竿を振ります(良い子はマネしちゃダメだよ)

暫くすると熱が上がってくるので、追いロキをして車で寝ます。

少し移動してまた釣ります。

暫くすると熱が上がってくるので…:||

言うまでもなく、高速道は移動のためのツールです。
ドライブを楽しむなら下道に決まってます。

下道をのんびり走りながら、良さそうな水辺を見つけたら止まって竿を出す(熱が上がってくるので…以下略)

これ、毎年北海道で味わっている贅沢なんですよね。

せっかく持ってきたカメラも持たず、なんだか、半分楽しみ半分義務のような気持ちで走ってたんですが、ここで我慢が出来ずカメラを取り出します。

聞いてはいました。

復興などまだまだ全然為されていないと。

私は阪神大震災を経験しています。
日本が本気になった時の復興に掛かるスピードには目を見張るものがあり、知識としては知っていましたが、今一実感は出来ていませんでした。

いや、実感出来ていなかったことを思い知らされました。

ここには写っていませんが、道路の端にうず高く積まれた廃材。
国道こそ整ってるけど、一本脇にズレただけでズタズタに切り裂かれたままの幹線道路。

そんな中、私が熱を押してまで我慢が出来なくなったのがこれらの光景です。






昔何かの本で読んだことがあります。

地球の歴史はまだ半分くらいしか進んでないんだ。

その中で人間がどう頑張ったって、10億年も生き続けられやしない。

だったら、ダムだろうが化学工場だろうが放射能だろうが何だろうが、地球はそんなの全部飲み込んで無かったことにしちまうよ。

一番の害獣だった人間ごとな。

この光景を見てると確かにそうかもしれないと思う。
地球の寿命90億年の歴史からみれば些細なことのようにも。

だがしかし、やはり何をどう見ても、そこには間違いなく確かに誰かの生活の匂いがした。
息遣いが聞こえてきた。

ここに住んでいた。
ここで働いていた。
ここでメシを食って、ここでゲームを楽しんだんだ。と。

さっき、ロシアで原子力ミサイルの事故のニュースを見た。
国内外で正確な情報を得られないと不安が広がっているらしい。



この道の先には福島第2原発があります。

東京電力は7月31日、福島第二原子力発電所の廃炉を決定したそうです。

諸事情もあるんだろうし、これが早いのか遅いのかは私には分かりません。

ただ、まだバブル真っ只中の頃、清志郎が日本に原発はいらねー!と叫んでいたのが今でも私の胸に空しく響くばかりです。
https://www.youtube.com/watch?v=A9vnBJ7pLHE

少し暗いお話になってしまいました。

いえね。東北頑張っていこうってお話です。
今回のイベントでオーガナイザーの龍夫さんは個人で縄会のようなものをやっていた方と繋がってくれていました。
他にもどんどん繋がって、どんどん盛り上げていって貰いたいものです。


他にも、「俺んとこにも来てくれよ!」って方がいたらお気軽にご相談ください。

日本全国。
いや、私を必要としてくれるのなら、世界中どこへでも出かけていきますよ。

2019年8月14日

堂山鉄心

10回目のありがとう

10回目のありがとう。

昨日の会場に来ていた、この世の盛りとばかりに美しく着飾った20歳前後の女性たちがまだ額に汗を沢山浮かべてランドセルを背負っていた――そんな10年前のある暑い暑い夏の日――。

新宿歌舞伎町という、世界にも他に類を見ないほどの大歓楽街に、小さなSMバーが一件オープンしました。

ARCADIA TOKYO

大阪は堂山町にあるARCADIAの姉妹店としてオープン前から何かと話題にしていただき、あの決して大きくない箱にオープン3日間で150名を軽く超えるお客様がご来場くださいました。

もちろん。
いわゆるご祝儀来店。
本当の営業は明けた月曜日からだと分かってはいましたが、あまりの落差に笑ってしまったのを今でも覚えています。

――オープン外さんと3日間で来てくれた人らはホンマに嬉しいけど、今日から来てくれるお客さんらがホンマのお客さんになっていくんやで。なぁ――。
響子さんと話したのが昨日のことのように思い出されます。

あれから10年。

毎年真夏にキリストンカフェ様をお借りして周年イベントを行わせていただいてきました。

1回目は150人ほどだったでしょうか?
そこから少しずつ増えてきてくださり、いまでは300人ほどの変態さんたちが会場を埋め尽くしてくださるようになりました。

それは、業界の関係者様方、そしてもちろん、何よりもお客様方のお陰に他なりません。
10年前から変わらずきてくださる方々、最近頻繁に来てくださるようになった方々、そして、最近はほとんどお見掛けしなくなった方々も含めて、皆様が作ってきてくださった功績です。

関係者各位、全てのお客様一人一人に感謝を伝えたいところですが、流石にそうも参りません。

せめてこの場で謝意を述べさせてください。

本当にありがとうございます。


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そしてここから少し手前味噌的な話になります。



見てください。
昨日会場でいただいたものです。
左が現役スタッフ、右が歴代スタッフからいただいた寄せ書きです。

毎年、スタッフ一人一人に感謝の言葉を書かせてもらっていたんですが、今回改めて、現役だけでなく、これだけ多くの人たちが、こんなに不器用でぶっきらぼうでわがままでどうしようもない私を支え続けてくれてたんだと思うと何も言葉が出て来なくなってしまいました。

稚拙な言葉で、本当に恥ずかしいです。
せめて心から言わせてください。

本当にありがとう。

そしてこれからは、言葉ではなく、一人一人ともっとちゃんと向き合えるように頑張ります。
ので、これからも力を貸してください。

どうかよろしくお願いします。

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最後に。

――てっちゃんと俺とで東京行ったら何かおもろいこと出来ると思えへん?――

10年前、貴方は私にこう言ってくださいました。

そして、私のわがままを聞き入れてくださったのが5年前。

未だに、人前ではふざけた態度しか取ることの出来ない半端な人間である私を許してくださり、また10数年前からずっと変わらず受け入れ続けてきてくださり、なんと言っていいのか分かりません。

ただ、ありきたりの言葉しか出てこない自分の不甲斐なさを噛みしめながら、せめて思いついた言葉を心から言わせてください。

ありがとうございます。
本当にありがとうございます。
そして、これからもどうかよろしくお願いします。

2019年
令和元年八月

ARCADIA TOKYO
堂山鉄心

緊縛講習会

ARCADIA TOKYOでは、
第1火曜日
第2水曜日
第3木曜日
と、月に3回、初級緊縛講習会を開催しています。

内容としては、基本の後手です。

縛りは後手に始まり後手に終わります。
後手に終わりはないというのが私の考え方ですので、レベルを問わず、どなた様でもご参加いただけます。


※が、最近、とても混雑してきて縛りにくくなってきてしまったため、縛り手さんは月に3回の内、2回までのご参加とさせていただくことになりましたのでご了承ください。

で、実際どうよ?
って話ですよね?

ご覧ください。


開始直前

手前に集まってくれてるのがボランティアで来てくれてる受け手さんたち。
この人たちのご協力で成り立っています。
本当に感謝。


どんどん増えてきます。

奥に陣取るのは講師陣。


始まりました。

レベルに合わせての、それぞれの練習風景。
初めて縄を持つ方々は、手首の縛りをご自分の足で練習をしてもらいます。
遅れて来られる方もいて、益々増えていきます(ので、月3回に増やしました。最近はここまで混まないです)

それにしても、女性の縛り手さんが増えてますねー。

和気あいあいとしながらも…
皆さん本当に真剣です。
分からないことはすぐに講師か、近くにいるベテランさんに聞き、なるべく疑問を残さないようにしていきます。



後手以外のことは月に一度の中級講習会(ペア参加)でやっています。

中級は特に厳格な参加資格などは設けておりませんが、最低限の後手(アルカ流に限りません)が出来ることとペアでご参加いただくことだけは条件としてお願いしています。
吊ることだけを目的とする中級ではなく、脚の縛り方や床での遊び方(のヒント)、ハンドリングの基本など、多岐に亘ってなるべく個別のご要望に応えていきたいと思っています。
もちろん、吊りのバリエーションも。
参加を迷ってる方がいらっしゃいましたら、私までお気軽にお尋ねください。


講習会をやっていると言うと、よく聞かれることに
「どれくらいで縛れるようになりますか?」という質問があります。

もちろん、質問者様の意図も気持ちも分かるつもりです。

ですが、ピアノを習うのに「どれくらいで弾けるようになりますか?」って聞きますか?
もっと分かりやすくいうなら、(「相手がいるんだよ」という意味でも)野球を習いにいって「どれくらいで打てるようになりますか?」という質問と同じです。

何をもって縛れるというのか?
どのレベルを指して縛れるというのか?

後手の手順を覚えるだけなら、早い方ならその日のうちに。
遅い方でも真面目にやってれば3日も掛からないかと思います(毎日2~3時間やってれば)。

ですが、体に掛かる縄の強さを揃えたり、留めがばっちりが留まるようになるにはもう少し時間が必要であるように思います。
また、縄を通じてお相手と対話をしたり、ましてや翻弄しようなどと思えば、それこそどれだけの時間が必要なのか、縛り手個人の問題だけではなくお相手との相性などもあり過ぎて答えようもありません(どれくらいで打てるように~の例えで分かりますよね?)

事故無く。というのも同じです。
私は現在に至ってもなお、完全に事故を起こさない縛り方というものに出会っていません。
なるべく起こさずに済むようにいくつかの注意点を提起するのがやっとです(格闘技などの習い事と同じですね)。

それらのことなども含めて、後手に終わりは無いんだと思っています。

少しネガティブな話をしましたが(必要なことなので)、縛りは本当に面白いです。
いくつから始めても構わないし、覚えたことは一生持ち続けることの出来るスキルです。

興味のない方には絶対にお勧めしませんが、迷ってるくらいなら始めてみては如何でしょう?(ウチでなくともお近くの講習会で良いです)
きっと充実した時間を過ごすことが出来ると思いますよ。


もすかう



「この機は満席になってしまったため、ビジネスのお席に変更させていただきました」

マ ジ で ?

4月23日
快晴の成田に到着。
これから「モスクワノット2019」に出演させていただくため、ロシアに向けて出発しようとしていたところでのアクシデント(良い方)。





ツイてる。


モスクワまでの10時間。
いきなりビジネスに変更とか、もう優勝したも同然!
これから多少ツイてないことが起きたところで、これでチャラくらいの勢い。

ってことで、モスクワ。
10時間掛けて4時間後に着くという不思議な経験をしてのモスクワはやっぱり寒……くない?
あれ?
日本よりはちょっとくらい寒いかもしれないけど、持ってきたコートとか絶対にいらないヤツ。
迎えにきてくれたFalco曰く5月下旬並みだそうだ。

ツイてる。

Falcoの運転するBMWに荷物に載せ、一路Falco家へ。
今回はずっと彼の家にお世話になるようです(この瞬間まで知らなかったw)。

奥様の美味しい手料理に迎えられ、その日はゆっくりして過ごしました。

次の日。
「今日は何?」
あまり予定を把握してない私はモデル兼通訳兼秘書のももゆりさんに全てをお任せしている。
「何もないみたいです」
「え?」
「何もありません」
「え? なんで?」
「知りませんよ」
「マジで?」

仕方がないのでスーパーに買い物に行き、近所の公園で鉄棒とかして遊んでいました。

次の日。
「今日は何?」
「下見だそうです」
「下見?」
「はい」
「それから?」
「それだけです」
「マジで?」

実際は下見に行って、打合せして何人かと挨拶したりして結構忙しくしてたんだけど、まぁ、何もしてないといえば何もしてないw

で次の日。

「今日は…」
「ショーです!」
食い気味できました。

もちろん、昨日の今日なんで流石に私も把握しています。

ってことで、この初日と最終日の3日目のトリにショーをやらせてもらいました。
写真はありません!(そのうち貰えるかと)

ロシアの縄はかなりBDSM寄りで、どうも私に合ってるようです。
形や残酷さよりも、相手との関係性を魅せるショーが多く、私の場合もそこをかなりしつこくw評価して貰いました。

で、ショーの合間や、最終日の次の日にワークショップなどをこなしながら交流を深めていきます。(仕事の部分はサラっと行くよw)

で、大体やることもやったんで市内観光に連れて行って貰いました。

音縄さんが行った時には寒くてマクドナルドしか案内出来なかったと言ってたので、「私とは普段の行いが違うからだ」と通訳してくれと頼んだんですが、ただの悪口になるから止めなさいと諭されました。
ってことで、気温は更に上がって6月頭並みとか言われる中、観光してきました。
マジでツイてる。



ってことで地下鉄で移動


壁にはソビエトのシンボルマークが


文句はないんだけど、電車はお世辞にも綺麗だとは言い難い


この奥が、赤の広場らしく、この日(この時?)は入れなかったみたい。

因みに、この家族が立ってるサークルに入って写真を撮るのが恒例らしく(意味は聞いてない)、ここでコサックやって良いかと聞いたら「マジで止めとけ」って言われたw



名もなき兵士たちの共同墓地的な場所らしい。
靖国的な?


とにかく、どこもかしこも゛おとぎの国”


なんか偉い人



この塀の向こうがクレムリン

入るのに何時間待ちって列が出来てたのでパス


ロシアといえばロシア正教会
その後暫く歩いて、いよいよロシア最大の教会へ




なんか偉い人

ナポレオンに勝った人(だったかもw)


街灯にも教会印が


上の写真を撮ってた時の体勢がコチラ




どーーーん!!!

で、残念ながら中は撮影禁止です。

禁止なんで言葉で表すしかないんですが、一言で言うなら豪華。

それはもう一歩踏み込んだ途端に圧倒されるほど豪華絢爛な世界。

上の写真から分かる大きさだけでなく、地下にもかなり深く続いており、誰が行ってもその壮大さに目を奪われることでしょう。

ただ、あまりに豪華すぎるので、見て回っているうちに、これでどれだけの人にパンを与えることが出来るんだろう? イエスはこんなものを望んでいたのか? と考えてしまったのは歩きすぎて疲れていたからなのかもしれません。


そろそろ外に戻りましょう


なんか偉い人らしいので際立たせてみた


なんかオシャレで有名な通りだそうです


「凄くオシャレで綺麗なグルジアレストランに真後ろにボロアパートがあるのがロシアの残念なところだ」と説明を受けたんですが、このコントラストが素敵だと思った私は何か違うんでしょうねw



歩いているとめっちゃ格好良い建物が見えました。

私には、ベルセルクでグリフィスが子供のころ憧れた城に見えたんで…




それっぽく加工してみた


ロシアは一般的な公衆トイレが少なく、あっても壊滅的に汚れているところが多く、代わりにこういった有料トイレがところどころ見られる



なんか凄い建物

上記で観光初日は終わったんだけど、まさかの次の日にはFalco一家とソビエト記念公園みたいなところ(名前は今考えた)に連れて行ってもらったよ




モノレールで行きます


車内から



かの、ガガーリンの記念館みたいなところ(行ってないけど)



着いた



収穫を祝う、いかにも共産国なシンボル


ご存知ソビエトの父レーニン



どや!



これはロシアと16の衛星国が協力し合う様を表しているらしい




まぁ、政治的な思惑は置いといて、美しいものは美しい


ロケット広場w



横から見るとこうなってるんだけど、このロケットを後ろから支えてる土台みたいなものを正面から見ると…



CCCPの文字がはっきりと見えるように配置されている



これは宇宙には行ってないんだけど、実際に使っていたテスト機だそうだ



激動の時代のパネルを前に、老人達は何を思っているのだろう?
そして私は何を思えば良いんだろう?

殺伐としてきたのでちょっと気を取り直して



その辺を走っていたツグミさん


今回行ってきた「ソビエト記念公園(仮)」の本当の名称はこれ(読めない)


モスクワ市内の巨大なジオラマがあるところもあって




モスクワノットが行われたモナクラブもしっかりありました






ソビエトのシンボル「槌と鎌」

生産者こそが偉大である。
祖国は我らのために…の理念は理想を超えることは出来なかったけど、冷戦真っ只中に生まれ育ち、ハリウッド映画で散々、ロシア(当時はソ連)は悪の帝国だと刷り込まれてきた私としては、まさかそのロシアに行ける日が来るなんて想像もしていませんでした。

そしてその悪の帝国は、一歩足を踏み入れてみると、厳しくも恵まれた大地と、素朴で温かい人たちに溢れた、ごくごく当たり前の国でした。
日本からやってきた見知らぬ中年男を両手を広げて温かく迎え入れる者。遠巻きに見ながら値踏みをする者。恐る恐る近づいてくる者。何だか分からないけど変に取り入ろうとする者。
つまりは、今まで行った他の国と全く同じ。

そして数々のロシアン美女を縛らせていただきましたが、縄に言葉が必要ないのも世界共通。
本当に素晴らしい時間を過ごさせていただきました。

最後に一つ。
日本人からすればメシは美味いです。

皆さんも機会があれば是非、おとぎの国へ。

上海――光と影の都――


 


貴方が上海に行ったら、きっとすぐにでも時代の流れを感じられる古い建物や美しい装飾品などを見つけることが出来るだろう。



しかし、その建物の全体を撮るため、少しでもレンズを空に向ければ、その時代感溢れる建物だけを撮ることの難しさを知ることになる。

貴方は、そこに近未来的なビルディングの数々と歴史観溢れる荘厳な建物の美しい調和を見つけることが出来るかもしれない。




しかしよくよく目を凝らせば、近未来的な建物の前を横切る、フェラーリやポルシェ、メルセデスなどの高級車の周りを取り囲むように併走している、ガムテープや針金などで無理矢理補修したような、おびただしい数の電動バイクの群れを見ることになる。




明と暗。

光と影。

世界中が超格差社会へと向かう流れを止めることが出来ずにいる昨今。
我々が向かう未来の一つがここにあるように感じた。

そんなコントラストの強い光景にあって、何故か私の目は暗部へと向かう性質なようだ。

それは、私が10代の頃によく遊んだ、大阪の天王寺に少し似ていたからなのかも知れない。
当時の天王寺(阿倍野)は、バラックと言っても差し支えがないような平屋の建物が密集する横に、(当時としては)大きな近鉄百貨店(現在はビルとしては日本一の高さを誇る、あべのハルカス)がそれらを睥睨するかのように建っていた。
そして、そこから少し歩くと通天閣に出る。
通天閣の周辺は、今でこそちょっと変わった観光地程度だが、当時は女子供だけで歩いてはいけないと言われるような街で、小学6年生で大阪市内に引っ越してきたばかりの私にはとても刺激的な街だった。
大道芸を遠巻きに見ながら、じゃんじゃん横町で串カツを食べ、ゲームセンターで遊んだ。
金もなく、暇を持てあますと、中学生までは無料で入れる天王寺動物園に行くこともあった。
そこでは、人々は決して裕福ではなかったが、皆大きな声でよく笑い、元気に逞しく生きていた。

その天王寺周辺に、上海の街はどことなく似ているのだ。

そしてそんな懐かしい想いを胸に、高層ビルを背にして数多ある路地の一本に入る。
見上げる先にはやはり、路地裏の長屋を威嚇するかのように高層ビルの群れが取り囲んでいた。
そこに微かな戦慄を覚えながら路地を進む。



――と、そこに――
目的の家屋はあった。

 

上海緊縛道場studioK

案内して貰わなければ通り過ぎてしまっていたことだろう。
シンプルで控えめなモノクロの看板が、小さな・・・だが決して譲れない自己主張のようなものを感じさせる。

 

そして、それもシンプルな鉄扉を開くと、そこには畳貼りの床と、木と竹で組まれた吊り床がある、The緊縛道場があった。

優しくて懐かしい光景。

人は少しシャイだが明るく親切で、食べ物は美味く、買い物にも困らない。

また一つ。
大好きな街が出来ました。

ダビデ
studioKを主催する“エセ”イタリア人(失礼。とてもシャイで、女とみれば誰彼構わず口説いたりしない、およそ”らしくない”けど、正真正銘イタリア人です)w

愛理さん
中・英・日の3カ国語を巧みに操り、ダビデと共にstudioKを切り盛りする、みんなの優しい(綺麗な)おねーさん。

LVENDAさん
私が上海に行くきっかけを作ってくれ、ショーまで企画してくれた若きオーガナイザーにして、とっても明るくいつも元気な可愛い女の子。

上記お三方には、渡航に関する待遇以外にも本当に沢山の時間と手間を掛けたおもてなしをいただき、並々ならぬお世話になりました。

ブログ上で大変失礼ながら、ここで改めてお礼を言わせてください。
本当にありがとうございました。

そして上記お三方以外にも、本当に多くの方々が私たちを歓待してくださり、何とお礼を言って良いか分からないほどです。

これは、去年行ったイタリア・フランスでもそうでした。
一昨年行ったスイスでもそうでした。

私は、海外から来てくれた友達に、こんなに多くの時間を割くことは出来ないと思います。
では、私は彼らに何をお返しすれば良いのでしょう?
一体何をお返し出来るんでしょう?

帰りの飛行機の中、ずっとそのことを考えていました。

今現在、未だ答えは出そうにありません。

ですが、せめてこの感謝の気持ちくらいは忘れずにいようと思います。

上海。
きっとまた・・・いつの日にか。

谢谢上海
谢谢studioK

堂山鉄心

 

 

フジイさんの想い出――スケベジジイの哀歌――

――ん?大丈夫か?――

その人が入って来た時の第一印象だ。

その人は入り口の壁に手をついて、もぞもぞと靴を脱ごうとしていた。
スタッフが慌てて手を貸している。

そこから席までも時折壁に手を着きながら席までの短い距離をゆっくりと・・・本当にゆっくりと歩いてきた。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

最近、同世代の方とお話をしていた時のこと、その方は既に、身内と呼べるような人間もいず、悠々自適な生活を送りながらも、言葉の端々から「もう年だし女は諦めた」的な発言が多々見受けられる方だった。
そこで私はふいに、フジイさんのことを思い出したのだ。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

――小さなおじいさん――
人生の大先輩であり、ましてやお客様である方に対して持って良い感想ではない。

――フジイです――。
その方は少し聞き取りにくい小さな声でぼそぼそとそう名乗った。

見えづらいだろうと申し訳ない気持ちになりながらアンケート用紙にご記入いただく。
お名前などの達筆な字が目を引くが、「好きなプレイ」欄の「緊縛」に○が付いているのは見逃さなかった。

その後、私は一人の女性を縛ったあと、フジイさんの席にご挨拶にいき、そこでようやくお話が出来た。
「縛りがお好きなんですか?」
「ええ、まぁ・・・」
「何年くらいなさってるんですか?」
「んー・・・まぁざっと50年くらいかなぁ・・・」

50年!

緊縛歴50年!

半世紀だよ。半世紀!
(30前後からだったそうで、後で分かったところだと、実は60年近い)

当時の私はまだ40代(後半)、御年84才(88だったかもw)を迎えられるフジイさんは、私が生きてきた年数よりも長く縛っているってことだ。

「昔はねぇ・・・」
フジイさんによると。
昔は今に比べてもっともっと、ずっとずっと、そんなことを話せる人はいなかったそうだ(当たり前ですよね?)。
そんな時代、フジイさんは何かの本で見た緊縛の絵や写真に取り憑かれた。
だが、オーラルセックスでさえ変態扱いをされていた時代、周りに縛らせてくれる女性などいるはずもなく、見つける手段さえなかった。

「そこでね、キャバレーに通って仲良くなったホステスにね、頼むんですよ。少しお小遣いをあげてね。もちろん、ちょっと仲良くなったくらいでお願いなんて出来ないよ。けど、何度か食事に行って、少しずつ仲良くなって、お互いのプライベートの話なんかも出来るようになった人の中でも、この人ならって人にだけね」
そういう話を恥ずかしそうに・・・、いや、何ならガキのころの非行歴でも告白するかのような様子で話してくれた。

聞けば誰にも習ったことがある訳もなく、絵や写真以外は誰の縛りも見たことがない。
そんなものが普通に見れる場所があることも習える場があることも、そのお年になられるまで知る由もなかったというのだ。

もちろん、世にSMショーというモノがあるらしい。くらいのことはご存じだったそうだが、そんなものは特別な旦那衆やよほどの好事家が行くモノで、自分のような一般人が出入り出来るなんて想像すらしなかったという。

「へぇ~・・・自分から? あんな若い綺麗なお嬢さんが・・・」
まして、今目の前で見たような、自らの意思で縛られたい(わざわざ金を払って縛られに来る)女性がこの世にいることなど、現物を見た今でも信じられないという。

そこから、フジイさんは月に一度くらいのペースでアルカ東京に来てくれるようになった。

そこで、人生の大大大先輩が、私に縄を分けて欲しいと言い、私に縛りを教えて欲しいと言う。

脚を悪くされ、どこかを支えていないと独りで立っていることも困難な老人が、それでもなお「女を縛りたい」と願う。

それは滑稽なことですか?

それとも、こんなものはただの醜い妄執ですか?

私は、死ぬまで“”でありたいと願い続けるその姿に、今でも強く強く憧れています。

その後フジイさんは半年ほど来られなくなり、久しぶりにお顔を見せてくださった時に、暫く脚が更に悪化して立てなくなっていたんだと仰っていました。

「堂山さん。あのね。あの後ね、堂山さんに教えて貰った縛りをね、したんですよ。キャバレーの馴染みの娘だけどね。またいつものようにちょっと小遣いあげてね。 やっぱり良いよねぇ。縛られた女はねぇ。なんか、堂山さんに教えて貰った通りにやったら、女のヤツもいつもよりもちょっと良さげでね。こう、恥ずかしそうにしやがって・・・」

その時のフジイさんの、少年のように無邪気な笑顔を、きっと私は生涯忘れることが出来ません。

全くの我流で、恐らくは50年以上もの間、年に何度もない緊縛の機会を大切に、一縄一縄、本でも見ながら「あーでもない、こーでもない」と縛って来られたであろうフジイさんは、上下の胸縄だけとはいえ、恐らく生まれて初めて自信たっぷりに縛ることが出来たんではないかと思い、私は本当にこの人に出会えた奇跡に感謝をしました。

こんなことがあるから、SMバーはやめられない。

女が死ぬまで女であり続けるように、男だって死ぬまで男でいて良いんです。

フジイさんには、残念ながらその後一度もお会いすることが出来ていません。
きっと脚が限界でもう出歩けなくなってしまわれたのではないかと推察しますが、せめてお達者でいてくれればと願うばかりです。
そして私は、いくら周りからみっともないと笑われるようなことがあろうとも、フジイさんのように、死ぬまで女の前で格好良くありたいと願う“男”でありたい。

フジイさん
貴方にご注文いただいた縄は、今でも大切に保管していますよ。

世の全てのスケベジジイに幸あれ。