東北

龍夫って人がいましてね。
https://twitter.com/kinbakutime

仙台の人なんですがアメリカ人で…
もちろん本名じゃないんでしょうが、そこは、まぁ…どうでも良い。

本人が龍夫だといえば龍夫。
それがこの世界。

で、その龍夫さんがね。
「仙台には何もないんだよ。鉄心さんSMバー作ってよ」って言うんですよ。
バカタレと。

無けりゃ自分で作れば良いじゃないか?
バーは無理でも縄会くらいならやる気があれば誰でも作れるぞ。と。

そんなん無理だよ。とか言うから、キミが本気でやりたいんだったら、一人で頑張ってイベントまで組んでごらん? 私も交通費くらいで行ってやるから。

なんて会話の中で実現しちゃいました東北ツアー(交通費以上にいただきました)

東北。
関西の人間からすれば、ある意味最も縁遠い地である。

それは、東日本の方なら中国地方を思い浮かべて貰えば想像がつくかもしれない。
島根や鳥取の位置が咄嗟に出てこない方も割と多いんじゃないでしょうか?

私は昔の仕事で沖縄以外は全県を通ったことがあるんだけど、仙台を目的地にしたのは初めてです。

杜の都。
笹かま。牛タン。ずんだ…
美味しいものなら数えきれないくらいにある。

「鉄心さん。さっきから看板が多いんですけど、萩の月って仙台が有名なんですか?」

ドライブ中のおちゃめな質問はさておき、もちろん、例の月の本家本元もここ仙台である。

仕事終わって寝ずに走ったおかげで、まぁ眠い。
取りあえずネカフェで仮眠を貪る。

夕方に起きて、会場へと向かう。

カッコいいバー



緊張の面持ちのももゆりさん

先に答えを書いておきます。

※今回、実は少し体調を崩していまして、残念ながら写真はこれだけです。
せっかくの仙台の名所も何も写せていません。
あしからず。

ショーは予定通り。

思った以上に沢山の方においでいただき、また過分な喝采もいただきました。

やはり、みんな欲しているんですよね。

そこから交流会の中で、私は緊縛体験ブースを担当させていただきました。

まぁ、皆さん並ぶ並ぶ。
これだけ喜んでくれたら縛り甲斐もあるってもんです。

2次会はとても美味しい韓国料理をいただきました。

もう少し体調が万全なら、もっと沢山楽しめたのに。
少し悔しい想いも残しながら帰路に着きます。

||:体調は思いっきり悪いんですが、せっかく東北まで来たら釣りをしないで帰るわけにはいきません。
ロキで熱を下げながら頑張って竿を振ります(良い子はマネしちゃダメだよ)

暫くすると熱が上がってくるので、追いロキをして車で寝ます。

少し移動してまた釣ります。

暫くすると熱が上がってくるので…:||

言うまでもなく、高速道は移動のためのツールです。
ドライブを楽しむなら下道に決まってます。

下道をのんびり走りながら、良さそうな水辺を見つけたら止まって竿を出す(熱が上がってくるので…以下略)

これ、毎年北海道で味わっている贅沢なんですよね。

せっかく持ってきたカメラも持たず、なんだか、半分楽しみ半分義務のような気持ちで走ってたんですが、ここで我慢が出来ずカメラを取り出します。

聞いてはいました。

復興などまだまだ全然為されていないと。

私は阪神大震災を経験しています。
日本が本気になった時の復興に掛かるスピードには目を見張るものがあり、知識としては知っていましたが、今一実感は出来ていませんでした。

いや、実感出来ていなかったことを思い知らされました。

ここには写っていませんが、道路の端にうず高く積まれた廃材。
国道こそ整ってるけど、一本脇にズレただけでズタズタに切り裂かれたままの幹線道路。

そんな中、私が熱を押してまで我慢が出来なくなったのがこれらの光景です。






昔何かの本で読んだことがあります。

地球の歴史はまだ半分くらいしか進んでないんだ。

その中で人間がどう頑張ったって、10億年も生き続けられやしない。

だったら、ダムだろうが化学工場だろうが放射能だろうが何だろうが、地球はそんなの全部飲み込んで無かったことにしちまうよ。

一番の害獣だった人間ごとな。

この光景を見てると確かにそうかもしれないと思う。
地球の寿命90億年の歴史からみれば些細なことのようにも。

だがしかし、やはり何をどう見ても、そこには間違いなく確かに誰かの生活の匂いがした。
息遣いが聞こえてきた。

ここに住んでいた。
ここで働いていた。
ここでメシを食って、ここでゲームを楽しんだんだ。と。

さっき、ロシアで原子力ミサイルの事故のニュースを見た。
国内外で正確な情報を得られないと不安が広がっているらしい。



この道の先には福島第2原発があります。

東京電力は7月31日、福島第二原子力発電所の廃炉を決定したそうです。

諸事情もあるんだろうし、これが早いのか遅いのかは私には分かりません。

ただ、まだバブル真っ只中の頃、清志郎が日本に原発はいらねー!と叫んでいたのが今でも私の胸に空しく響くばかりです。
https://www.youtube.com/watch?v=A9vnBJ7pLHE

少し暗いお話になってしまいました。

いえね。東北頑張っていこうってお話です。
今回のイベントでオーガナイザーの龍夫さんは個人で縄会のようなものをやっていた方と繋がってくれていました。
他にもどんどん繋がって、どんどん盛り上げていって貰いたいものです。


他にも、「俺んとこにも来てくれよ!」って方がいたらお気軽にご相談ください。

日本全国。
いや、私を必要としてくれるのなら、世界中どこへでも出かけていきますよ。

2019年8月14日

堂山鉄心

10回目のありがとう

10回目のありがとう。

昨日の会場に来ていた、この世の盛りとばかりに美しく着飾った20歳前後の女性たちがまだ額に汗を沢山浮かべてランドセルを背負っていた――そんな10年前のある暑い暑い夏の日――。

新宿歌舞伎町という、世界にも他に類を見ないほどの大歓楽街に、小さなSMバーが一件オープンしました。

ARCADIA TOKYO

大阪は堂山町にあるARCADIAの姉妹店としてオープン前から何かと話題にしていただき、あの決して大きくない箱にオープン3日間で150名を軽く超えるお客様がご来場くださいました。

もちろん。
いわゆるご祝儀来店。
本当の営業は明けた月曜日からだと分かってはいましたが、あまりの落差に笑ってしまったのを今でも覚えています。

――オープン外さんと3日間で来てくれた人らはホンマに嬉しいけど、今日から来てくれるお客さんらがホンマのお客さんになっていくんやで。なぁ――。
響子さんと話したのが昨日のことのように思い出されます。

あれから10年。

毎年真夏にキリストンカフェ様をお借りして周年イベントを行わせていただいてきました。

1回目は150人ほどだったでしょうか?
そこから少しずつ増えてきてくださり、いまでは300人ほどの変態さんたちが会場を埋め尽くしてくださるようになりました。

それは、業界の関係者様方、そしてもちろん、何よりもお客様方のお陰に他なりません。
10年前から変わらずきてくださる方々、最近頻繁に来てくださるようになった方々、そして、最近はほとんどお見掛けしなくなった方々も含めて、皆様が作ってきてくださった功績です。

関係者各位、全てのお客様一人一人に感謝を伝えたいところですが、流石にそうも参りません。

せめてこの場で謝意を述べさせてください。

本当にありがとうございます。


/////////////////////////////////////////////////////////////////////////////

そしてここから少し手前味噌的な話になります。



見てください。
昨日会場でいただいたものです。
左が現役スタッフ、右が歴代スタッフからいただいた寄せ書きです。

毎年、スタッフ一人一人に感謝の言葉を書かせてもらっていたんですが、今回改めて、現役だけでなく、これだけ多くの人たちが、こんなに不器用でぶっきらぼうでわがままでどうしようもない私を支え続けてくれてたんだと思うと何も言葉が出て来なくなってしまいました。

稚拙な言葉で、本当に恥ずかしいです。
せめて心から言わせてください。

本当にありがとう。

そしてこれからは、言葉ではなく、一人一人ともっとちゃんと向き合えるように頑張ります。
ので、これからも力を貸してください。

どうかよろしくお願いします。

////////////////////////////////////////////////////////////////////////

最後に。

――てっちゃんと俺とで東京行ったら何かおもろいこと出来ると思えへん?――

10年前、貴方は私にこう言ってくださいました。

そして、私のわがままを聞き入れてくださったのが5年前。

未だに、人前ではふざけた態度しか取ることの出来ない半端な人間である私を許してくださり、また10数年前からずっと変わらず受け入れ続けてきてくださり、なんと言っていいのか分かりません。

ただ、ありきたりの言葉しか出てこない自分の不甲斐なさを噛みしめながら、せめて思いついた言葉を心から言わせてください。

ありがとうございます。
本当にありがとうございます。
そして、これからもどうかよろしくお願いします。

2019年
令和元年八月

ARCADIA TOKYO
堂山鉄心

もすかう



「この機は満席になってしまったため、ビジネスのお席に変更させていただきました」

マ ジ で ?

4月23日
快晴の成田に到着。
これから「モスクワノット2019」に出演させていただくため、ロシアに向けて出発しようとしていたところでのアクシデント(良い方)。





ツイてる。


モスクワまでの10時間。
いきなりビジネスに変更とか、もう優勝したも同然!
これから多少ツイてないことが起きたところで、これでチャラくらいの勢い。

ってことで、モスクワ。
10時間掛けて4時間後に着くという不思議な経験をしてのモスクワはやっぱり寒……くない?
あれ?
日本よりはちょっとくらい寒いかもしれないけど、持ってきたコートとか絶対にいらないヤツ。
迎えにきてくれたFalco曰く5月下旬並みだそうだ。

ツイてる。

Falcoの運転するBMWに荷物に載せ、一路Falco家へ。
今回はずっと彼の家にお世話になるようです(この瞬間まで知らなかったw)。

奥様の美味しい手料理に迎えられ、その日はゆっくりして過ごしました。

次の日。
「今日は何?」
あまり予定を把握してない私はモデル兼通訳兼秘書のももゆりさんに全てをお任せしている。
「何もないみたいです」
「え?」
「何もありません」
「え? なんで?」
「知りませんよ」
「マジで?」

仕方がないのでスーパーに買い物に行き、近所の公園で鉄棒とかして遊んでいました。

次の日。
「今日は何?」
「下見だそうです」
「下見?」
「はい」
「それから?」
「それだけです」
「マジで?」

実際は下見に行って、打合せして何人かと挨拶したりして結構忙しくしてたんだけど、まぁ、何もしてないといえば何もしてないw

で次の日。

「今日は…」
「ショーです!」
食い気味できました。

もちろん、昨日の今日なんで流石に私も把握しています。

ってことで、この初日と最終日の3日目のトリにショーをやらせてもらいました。
写真はありません!(そのうち貰えるかと)

ロシアの縄はかなりBDSM寄りで、どうも私に合ってるようです。
形や残酷さよりも、相手との関係性を魅せるショーが多く、私の場合もそこをかなりしつこくw評価して貰いました。

で、ショーの合間や、最終日の次の日にワークショップなどをこなしながら交流を深めていきます。(仕事の部分はサラっと行くよw)

で、大体やることもやったんで市内観光に連れて行って貰いました。

音縄さんが行った時には寒くてマクドナルドしか案内出来なかったと言ってたので、「私とは普段の行いが違うからだ」と通訳してくれと頼んだんですが、ただの悪口になるから止めなさいと諭されました。
ってことで、気温は更に上がって6月頭並みとか言われる中、観光してきました。
マジでツイてる。



ってことで地下鉄で移動


壁にはソビエトのシンボルマークが


文句はないんだけど、電車はお世辞にも綺麗だとは言い難い


この奥が、赤の広場らしく、この日(この時?)は入れなかったみたい。

因みに、この家族が立ってるサークルに入って写真を撮るのが恒例らしく(意味は聞いてない)、ここでコサックやって良いかと聞いたら「マジで止めとけ」って言われたw



名もなき兵士たちの共同墓地的な場所らしい。
靖国的な?


とにかく、どこもかしこも゛おとぎの国”


なんか偉い人



この塀の向こうがクレムリン

入るのに何時間待ちって列が出来てたのでパス


ロシアといえばロシア正教会
その後暫く歩いて、いよいよロシア最大の教会へ




なんか偉い人

ナポレオンに勝った人(だったかもw)


街灯にも教会印が


上の写真を撮ってた時の体勢がコチラ




どーーーん!!!

で、残念ながら中は撮影禁止です。

禁止なんで言葉で表すしかないんですが、一言で言うなら豪華。

それはもう一歩踏み込んだ途端に圧倒されるほど豪華絢爛な世界。

上の写真から分かる大きさだけでなく、地下にもかなり深く続いており、誰が行ってもその壮大さに目を奪われることでしょう。

ただ、あまりに豪華すぎるので、見て回っているうちに、これでどれだけの人にパンを与えることが出来るんだろう? イエスはこんなものを望んでいたのか? と考えてしまったのは歩きすぎて疲れていたからなのかもしれません。


そろそろ外に戻りましょう


なんか偉い人らしいので際立たせてみた


なんかオシャレで有名な通りだそうです


「凄くオシャレで綺麗なグルジアレストランに真後ろにボロアパートがあるのがロシアの残念なところだ」と説明を受けたんですが、このコントラストが素敵だと思った私は何か違うんでしょうねw



歩いているとめっちゃ格好良い建物が見えました。

私には、ベルセルクでグリフィスが子供のころ憧れた城に見えたんで…




それっぽく加工してみた


ロシアは一般的な公衆トイレが少なく、あっても壊滅的に汚れているところが多く、代わりにこういった有料トイレがところどころ見られる



なんか凄い建物

上記で観光初日は終わったんだけど、まさかの次の日にはFalco一家とソビエト記念公園みたいなところ(名前は今考えた)に連れて行ってもらったよ




モノレールで行きます


車内から



かの、ガガーリンの記念館みたいなところ(行ってないけど)



着いた



収穫を祝う、いかにも共産国なシンボル


ご存知ソビエトの父レーニン



どや!



これはロシアと16の衛星国が協力し合う様を表しているらしい




まぁ、政治的な思惑は置いといて、美しいものは美しい


ロケット広場w



横から見るとこうなってるんだけど、このロケットを後ろから支えてる土台みたいなものを正面から見ると…



CCCPの文字がはっきりと見えるように配置されている



これは宇宙には行ってないんだけど、実際に使っていたテスト機だそうだ



激動の時代のパネルを前に、老人達は何を思っているのだろう?
そして私は何を思えば良いんだろう?

殺伐としてきたのでちょっと気を取り直して



その辺を走っていたツグミさん


今回行ってきた「ソビエト記念公園(仮)」の本当の名称はこれ(読めない)


モスクワ市内の巨大なジオラマがあるところもあって




モスクワノットが行われたモナクラブもしっかりありました






ソビエトのシンボル「槌と鎌」

生産者こそが偉大である。
祖国は我らのために…の理念は理想を超えることは出来なかったけど、冷戦真っ只中に生まれ育ち、ハリウッド映画で散々、ロシア(当時はソ連)は悪の帝国だと刷り込まれてきた私としては、まさかそのロシアに行ける日が来るなんて想像もしていませんでした。

そしてその悪の帝国は、一歩足を踏み入れてみると、厳しくも恵まれた大地と、素朴で温かい人たちに溢れた、ごくごく当たり前の国でした。
日本からやってきた見知らぬ中年男を両手を広げて温かく迎え入れる者。遠巻きに見ながら値踏みをする者。恐る恐る近づいてくる者。何だか分からないけど変に取り入ろうとする者。
つまりは、今まで行った他の国と全く同じ。

そして数々のロシアン美女を縛らせていただきましたが、縄に言葉が必要ないのも世界共通。
本当に素晴らしい時間を過ごさせていただきました。

最後に一つ。
日本人からすればメシは美味いです。

皆さんも機会があれば是非、おとぎの国へ。

上海――光と影の都――


 


貴方が上海に行ったら、きっとすぐにでも時代の流れを感じられる古い建物や美しい装飾品などを見つけることが出来るだろう。



しかし、その建物の全体を撮るため、少しでもレンズを空に向ければ、その時代感溢れる建物だけを撮ることの難しさを知ることになる。

貴方は、そこに近未来的なビルディングの数々と歴史観溢れる荘厳な建物の美しい調和を見つけることが出来るかもしれない。




しかしよくよく目を凝らせば、近未来的な建物の前を横切る、フェラーリやポルシェ、メルセデスなどの高級車の周りを取り囲むように併走している、ガムテープや針金などで無理矢理補修したような、おびただしい数の電動バイクの群れを見ることになる。




明と暗。

光と影。

世界中が超格差社会へと向かう流れを止めることが出来ずにいる昨今。
我々が向かう未来の一つがここにあるように感じた。

そんなコントラストの強い光景にあって、何故か私の目は暗部へと向かう性質なようだ。

それは、私が10代の頃によく遊んだ、大阪の天王寺に少し似ていたからなのかも知れない。
当時の天王寺(阿倍野)は、バラックと言っても差し支えがないような平屋の建物が密集する横に、(当時としては)大きな近鉄百貨店(現在はビルとしては日本一の高さを誇る、あべのハルカス)がそれらを睥睨するかのように建っていた。
そして、そこから少し歩くと通天閣に出る。
通天閣の周辺は、今でこそちょっと変わった観光地程度だが、当時は女子供だけで歩いてはいけないと言われるような街で、小学6年生で大阪市内に引っ越してきたばかりの私にはとても刺激的な街だった。
大道芸を遠巻きに見ながら、じゃんじゃん横町で串カツを食べ、ゲームセンターで遊んだ。
金もなく、暇を持てあますと、中学生までは無料で入れる天王寺動物園に行くこともあった。
そこでは、人々は決して裕福ではなかったが、皆大きな声でよく笑い、元気に逞しく生きていた。

その天王寺周辺に、上海の街はどことなく似ているのだ。

そしてそんな懐かしい想いを胸に、高層ビルを背にして数多ある路地の一本に入る。
見上げる先にはやはり、路地裏の長屋を威嚇するかのように高層ビルの群れが取り囲んでいた。
そこに微かな戦慄を覚えながら路地を進む。



――と、そこに――
目的の家屋はあった。

 

上海緊縛道場studioK

案内して貰わなければ通り過ぎてしまっていたことだろう。
シンプルで控えめなモノクロの看板が、小さな・・・だが決して譲れない自己主張のようなものを感じさせる。

 

そして、それもシンプルな鉄扉を開くと、そこには畳貼りの床と、木と竹で組まれた吊り床がある、The緊縛道場があった。

優しくて懐かしい光景。

人は少しシャイだが明るく親切で、食べ物は美味く、買い物にも困らない。

また一つ。
大好きな街が出来ました。

ダビデ
studioKを主催する“エセ”イタリア人(失礼。とてもシャイで、女とみれば誰彼構わず口説いたりしない、およそ”らしくない”けど、正真正銘イタリア人です)w

愛理さん
中・英・日の3カ国語を巧みに操り、ダビデと共にstudioKを切り盛りする、みんなの優しい(綺麗な)おねーさん。

LVENDAさん
私が上海に行くきっかけを作ってくれ、ショーまで企画してくれた若きオーガナイザーにして、とっても明るくいつも元気な可愛い女の子。

上記お三方には、渡航に関する待遇以外にも本当に沢山の時間と手間を掛けたおもてなしをいただき、並々ならぬお世話になりました。

ブログ上で大変失礼ながら、ここで改めてお礼を言わせてください。
本当にありがとうございました。

そして上記お三方以外にも、本当に多くの方々が私たちを歓待してくださり、何とお礼を言って良いか分からないほどです。

これは、去年行ったイタリア・フランスでもそうでした。
一昨年行ったスイスでもそうでした。

私は、海外から来てくれた友達に、こんなに多くの時間を割くことは出来ないと思います。
では、私は彼らに何をお返しすれば良いのでしょう?
一体何をお返し出来るんでしょう?

帰りの飛行機の中、ずっとそのことを考えていました。

今現在、未だ答えは出そうにありません。

ですが、せめてこの感謝の気持ちくらいは忘れずにいようと思います。

上海。
きっとまた・・・いつの日にか。

谢谢上海
谢谢studioK

堂山鉄心

 

 

フジイさんの想い出――スケベジジイの哀歌――

――ん?大丈夫か?――

その人が入って来た時の第一印象だ。

その人は入り口の壁に手をついて、もぞもぞと靴を脱ごうとしていた。
スタッフが慌てて手を貸している。

そこから席までも時折壁に手を着きながら席までの短い距離をゆっくりと・・・本当にゆっくりと歩いてきた。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

最近、同世代の方とお話をしていた時のこと、その方は既に、身内と呼べるような人間もいず、悠々自適な生活を送りながらも、言葉の端々から「もう年だし女は諦めた」的な発言が多々見受けられる方だった。
そこで私はふいに、フジイさんのことを思い出したのだ。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

――小さなおじいさん――
人生の大先輩であり、ましてやお客様である方に対して持って良い感想ではない。

――フジイです――。
その方は少し聞き取りにくい小さな声でぼそぼそとそう名乗った。

見えづらいだろうと申し訳ない気持ちになりながらアンケート用紙にご記入いただく。
お名前などの達筆な字が目を引くが、「好きなプレイ」欄の「緊縛」に○が付いているのは見逃さなかった。

その後、私は一人の女性を縛ったあと、フジイさんの席にご挨拶にいき、そこでようやくお話が出来た。
「縛りがお好きなんですか?」
「ええ、まぁ・・・」
「何年くらいなさってるんですか?」
「んー・・・まぁざっと50年くらいかなぁ・・・」

50年!

緊縛歴50年!

半世紀だよ。半世紀!
(30前後からだったそうで、後で分かったところだと、実は60年近い)

当時の私はまだ40代(後半)、御年84才(88だったかもw)を迎えられるフジイさんは、私が生きてきた年数よりも長く縛っているってことだ。

「昔はねぇ・・・」
フジイさんによると。
昔は今に比べてもっともっと、ずっとずっと、そんなことを話せる人はいなかったそうだ(当たり前ですよね?)。
そんな時代、フジイさんは何かの本で見た緊縛の絵や写真に取り憑かれた。
だが、オーラルセックスでさえ変態扱いをされていた時代、周りに縛らせてくれる女性などいるはずもなく、見つける手段さえなかった。

「そこでね、キャバレーに通って仲良くなったホステスにね、頼むんですよ。少しお小遣いをあげてね。もちろん、ちょっと仲良くなったくらいでお願いなんて出来ないよ。けど、何度か食事に行って、少しずつ仲良くなって、お互いのプライベートの話なんかも出来るようになった人の中でも、この人ならって人にだけね」
そういう話を恥ずかしそうに・・・、いや、何ならガキのころの非行歴でも告白するかのような様子で話してくれた。

聞けば誰にも習ったことがある訳もなく、絵や写真以外は誰の縛りも見たことがない。
そんなものが普通に見れる場所があることも習える場があることも、そのお年になられるまで知る由もなかったというのだ。

もちろん、世にSMショーというモノがあるらしい。くらいのことはご存じだったそうだが、そんなものは特別な旦那衆やよほどの好事家が行くモノで、自分のような一般人が出入り出来るなんて想像すらしなかったという。

「へぇ~・・・自分から? あんな若い綺麗なお嬢さんが・・・」
まして、今目の前で見たような、自らの意思で縛られたい(わざわざ金を払って縛られに来る)女性がこの世にいることなど、現物を見た今でも信じられないという。

そこから、フジイさんは月に一度くらいのペースでアルカ東京に来てくれるようになった。

そこで、人生の大大大先輩が、私に縄を分けて欲しいと言い、私に縛りを教えて欲しいと言う。

脚を悪くされ、どこかを支えていないと独りで立っていることも困難な老人が、それでもなお「女を縛りたい」と願う。

それは滑稽なことですか?

それとも、こんなものはただの醜い妄執ですか?

私は、死ぬまで“”でありたいと願い続けるその姿に、今でも強く強く憧れています。

その後フジイさんは半年ほど来られなくなり、久しぶりにお顔を見せてくださった時に、暫く脚が更に悪化して立てなくなっていたんだと仰っていました。

「堂山さん。あのね。あの後ね、堂山さんに教えて貰った縛りをね、したんですよ。キャバレーの馴染みの娘だけどね。またいつものようにちょっと小遣いあげてね。 やっぱり良いよねぇ。縛られた女はねぇ。なんか、堂山さんに教えて貰った通りにやったら、女のヤツもいつもよりもちょっと良さげでね。こう、恥ずかしそうにしやがって・・・」

その時のフジイさんの、少年のように無邪気な笑顔を、きっと私は生涯忘れることが出来ません。

全くの我流で、恐らくは50年以上もの間、年に何度もない緊縛の機会を大切に、一縄一縄、本でも見ながら「あーでもない、こーでもない」と縛って来られたであろうフジイさんは、上下の胸縄だけとはいえ、恐らく生まれて初めて自信たっぷりに縛ることが出来たんではないかと思い、私は本当にこの人に出会えた奇跡に感謝をしました。

こんなことがあるから、SMバーはやめられない。

女が死ぬまで女であり続けるように、男だって死ぬまで男でいて良いんです。

フジイさんには、残念ながらその後一度もお会いすることが出来ていません。
きっと脚が限界でもう出歩けなくなってしまわれたのではないかと推察しますが、せめてお達者でいてくれればと願うばかりです。
そして私は、いくら周りからみっともないと笑われるようなことがあろうとも、フジイさんのように、死ぬまで女の前で格好良くありたいと願う“男”でありたい。

フジイさん
貴方にご注文いただいた縄は、今でも大切に保管していますよ。

世の全てのスケベジジイに幸あれ。